※2017年12月頃の情報です。

 

ウガンダから1日かけてやって来たルワンダの首都キガリ。

東アフリカの小さな国ですが、ルワンダという国名は皆さんも少しは聞いたことがあるんじゃないでしょうか。

20世紀末に、民族紛争から発した内戦が起こり、ルワンダ虐殺と呼ばれる悲劇が起きた国。

2006年頃に日本で公開された『ホテル・ルワンダ』という映画でこの事件を知った方が多かったのではと思います。

僕らも、キガリ滞在中は、この、まだそれほど昔のことではない、悲しい歴史を記憶しているいくつかのスポットに訪れることになりました。

 

 

<世界一周53か国目>

ルワンダ(Rwanda)

通貨:ルワンダフラン

為替:100円 = 約791フラン(2019年3月)

列強によるアフリカ分割時代には、ドイツとベルギーの植民地となっていた歴史があります。

 

<現在地はここ>

キガリ(Kigali)

気温:最高23〜27℃ 最低13〜16℃(2017年12月)

標高が1,500m程度と結構高く、カンパラに比べるとだいぶ涼しい印象です。

 

キガリの移動拠点となるニャブゴゴバスターミナル周辺の簡易マップ。

ここから南に向かって丘陵になっており、丘の上には整備された近代的な市街地が広がっている。

 

まあバスターミナル周辺はゴミゴミしてるけどね・・・

 

ただ、普通のローカルバスでもICカードが普及してたりと、ケニアやウガンダとは違う感じを見せてくれます。

 

ナイロビでお世話になったメガスーパー。

キガリのNakumattもかなり何でも品が揃ってて凄いです。

 

こういうところから中国資本が結構入ってきているのが分かりますね。

 

 

超安いSIMカード

東アフリカエリアではインドの大手通信キャリアairtelが進出しています。

 

SIMカードはこういうとこで簡単に買えます。

 

料金プランは多いですが、シンプルで分かりやすいです。

驚愕なのはその安さ。

 

SIMカード+7GBの通信量: 5,500フラン(約694円)

 

マダガスカルとかエチオピアとかクソ高かったですが、どうしちゃったんでしょうか・・・

宿のWi-Fiが壊滅的だったので助かりました。

 

虐殺博物館

ルワンダに来る旅人であれば、その民族対立の歴史はご存知かと思います。

植民地時代から優遇されていた少数派ツチ族と、不満を抱えてきた多数派フツ族。

歴史的に度々衝突を繰り返してきた両者と、それらの感情を利用し、メディアやラジオを利用して紛争を扇動して来た政治指導者。

実際にはこの民族区分は、植民地時代の統治手法の一つとして、勝手につけられたもので、あまり根拠の無いものだったりします。

そしてその対立の中で起きた最大の悲劇が1994年のルワンダ大虐殺。

フツ族によるツチ族の大量殺戮。

その犠牲者は人口の20%近く、100万人にも及んだとされています。

 

このルワンダ虐殺の悲劇を記録し、現代へ伝える博物館(Genocide Memorial)が、市街地エリアから川を渡り、丘を少し登った先にあります。

バスターミナルからだと40分くらい歩きました。

 

入口に到着しました。

入館料は基本無料で、ドネーション制なので、気持ちとして寄付金を置いていきましょう。

ただし、オーディオガイド代、カメラ持ち込み代は別にかかります。

 

各国の支援もあり、設備はとても綺麗で整っています。

 

展示物はとてもボリュームのある内容になっています。

最初はルワンダの地域の歴史、そして植民地としてどのような統治が行われていたか、内戦が起こった経緯が淡々と語られています。

後半は、その内戦でどのような犠牲が出たか、かなり詳細な記録が残されています。

山積みになった人間の死体、マチェーテ(ナタ)で手足を切られた小さな子供、中が赤い血で染まったタライ、形が変形するまで殴られたことが分かる骸骨など・・・

 

ある日突然、隣人が殺人鬼になった。

 

館内には、展示物が刺激が強い内容である注意書きもありましたが、実際ずっと見ていたら、気分が悪くなってしまうかもしれないような写真が多く展示されています。

 

それらの資料をブログに掲載するのは控えますが、キガリヘ訪れた旅人には、是非とも立ち寄っていただきたい場所です。

憂鬱で、とてもとても悲しい気持ちになりました。

 

 

綺麗に整備された中庭。

先ほど見ていた虐殺の歴史と、この現在の平和で美しい景色との対比で、かえって複雑な気分になりますね。

 

まるで人間扱いされずに、子供が虫を殺すかのように、名も知られずに亡くなっていった方々が多くいたことでしょう。

 

こういった負の遺産を見ていると、悲劇とは、仕方なくそうなってしまった、という訳ではなく、起こるべくして起きていると思います。

ルワンダの例でも、指導者たちは事前に周到な準備を行っており、人々の不満や感情をうまくコントロールしていました。

事前に連絡体制を整え、武器を配布、殺人マシンとなった民兵たちは高度に組織化されており、極めて短期間のうちに大量の殺人を行うことを可能とした。

 

更に、この虐殺の最大の悲劇は、国際社会が彼らを見捨てたこと。

ルワンダと関係性が深かったフランス(フツを支援)もアメリカ(ツチを支援)終始介入に消極的な態度を取っており、国連軍らによる支援も、ルワンダ人ではなく、現地在住の外国人のみを対象に行われていたとされます。

彼らの任務は、平和の施行ではなく、平和の監視であったと。

 

世界の目は、同時期に勃発していたボスニア紛争に焦点を当てていました。

こんなものはアフリカではよくある民族対立で、欧米人の命を優先すべきだ。

という人種差別的な視点も根底にあったのではないかという指摘もされています。

 

なんでもかんでも介入するのは問題かもしれませんが、この時に先進各国が人道支援のために積極的に軍を派遣していたら、犠牲者はもっと少なく済んだ可能性が高いです。

後にフランス政府もアメリカ政府も、ルワンダ虐殺時の政治判断に誤りがあったことを認めています。

 

 

ムランビ技術学校の悲劇

ルワンダ内戦の悲劇を記憶するもう一つのスポットへも訪れました。

そこは以前、ムランビ技術学校と呼ばれていた小高い丘に位置する建物。

 

当時、虐殺から逃げ惑うツチ族たちが、

丘の上に逃げればフランス軍が助けてくれる

という市長らの嘘に欺かれ、最終的に6万人以上がここに集まりました。

しかし十分な食料も無いまま人々は疲弊していき、電気水道は停止。

自衛の為に石などを拾い集めつつ、なんとか持ちこたえていたツチ族でしたが、フランス軍が突如撤退すると、包囲していたツチ族たちが一気に学校内へ侵入。

逃げ場の存在しないこの場所で、4〜5万人が虐殺されたということです。

モデルになった場所は異なりますが、『ルワンダの涙』という映画と内容は非常に似ているので、是非一見いただきたいです。

 

 

ムランビ記念館への行き方

キガリからはちょっと遠いですが、なんとか日帰りで行けるレベルです。

キガリから南へフイエ (Huye(ブタレ・Butare))という町まで行き、そこからバスを乗り換え、ニャマガベ(Nyamagabe)へ。

そこからバイタクなどで記念館があるムランビ(Murambi)へ向かう感じです。

まずはおなじみニャブゴゴバスターミナルへ。

 

バスターミナル敷地内にあったこのHORIZON EXPRESSというバス会社のオフィスでチケットを買いました。

 

キガリ → フイエまでのバスチケット: 2,500フラン(約315円)

 

朝日早く7:30に出発です。

こっからフイエまでは結構長く3時間半くらいかかります。

フイエはルワンダ第二の都市らしく、コーヒーの名産地として有名。

1泊してってもいいかもしれないですね。

 

僕らは弾丸だったので、フイエのバスターミナルに到着してすぐ、目の目に停まっていたニャマガベ行きのバスに乗り換えました。

 

フイエ → ニャマガベ行きのバスチケット: 500フラン(約63円)

 

ニャマガベは超田舎。

バスターミナルに簡単な食堂があったんで昼飯を食ってから行動開始しました。

で、こんなところに来る外国人は、だいたいムランビの記念館へ行くので、バイタクの兄ちゃんもよく分かっています。

片道500フランで乗せてくれました。

 

途中はこんなのどかな農村の風景が目に入ります。

通り過ぎる現地の子供達が外国人を珍しがり、ハローなんて言って手をふってきます。

こんな場所で凄惨な虐殺が行われたとは信じがたい・・・

 

到着しました。

ムランビ・メモリアル・ミュージアム。

ここに来て驚きましたよ。

こんな場所に逃げ込んだら、まさしく袋の中のネズミです。

出入りするには1本の道しかなく、周囲はより高い山に囲まれていて外から丸見え。

監視され放題ですよこれ。

 

逃げ込んだツチ族はここで、包囲していたフツ族から毎晩のように脅しの言葉、罵詈雑言を浴びせられ、怯えながら過ごしていたそうです。

 

そしてこのムランビで展示されているもの。

それは死体です。

英語を話せるガイドが敷地内を案内してくれますが、残されている建物に、当時虐殺された人々の遺体が、ミイラ化し、保存されています。

明らかに小さな子供と見られるものや、暴行されて頭蓋骨に奇妙な穴が空いているもの。

その生々しさは、キガリの博物館以上だったかと思います。

だって、25年くらい前、まだこの人たちは生きていたんだから。

 

目の前にあるのは、ただただ悲しい現実。

暗い空気と嗅いだことがないような匂いが辺りを包んでいました。

 

 

ホテル・ルワンダ

最後に映画『ホテルルワンダ』の舞台となった場所。

オテル・デ・ミル・コリン(Hotel des Mille Collines)へ行ってみます。

ホテルに逃げ込んだツチ族たちを、暴徒と化したフツ族過激派から匿い、なんとか救おうとした勇敢なホテルマンを描いた作品。

見捨てられ、みんな殺されてしまう『ルワンダの涙』よりかは救いのある作品なのでみていない方は是非。

 

ポールまじでかっこいいです。

 

今も存在する4つ星ホテルです。

丘の上の市街地にあり、バスターミナルからだと結構歩くので、バイタク使った方がいいかもしんないです。

 

高級ホテルなので外国からのビジネス客によく利用されているよう。

荷物チェックとかはありますが、普通に入れます。

 

いいねえ!!

プールサイドのバーレストラン。

ここってアフリカだっけ?と思ってしまうような久々のくつろぎ空間です。

Wi-Fiも使えてATMも設置されてます。

超居心地良いので、是非休憩しに来てください。

 

気に入り過ぎて、キガリ滞在中3回も来てしまいました。

スタッフのホスピタリティもハイレベルで、さすが格式あるホテル。

 

このミルコリンズに限らず、キガリ中心部はとても発展しており、街が綺麗です。

ゴミもあまり落ちていない。

聞いた話によれば、毎月決まった日にみんなで掃除をするんだとか。

本当、東アフリカ地域ではダントツに整っている気がします。(少なくとも中心市街地は。)

内戦で荒廃し、国際社会から見捨てられ、国家存続が危ぶまれた時もあったルワンダ。

しかし今や活気を取り戻し、東アフリカのIT集積地として急速な発展を続け、多くのスタートアップ企業が出ている国でもあります。

悲惨な経験をした国の方がその反動でかえって平和になり、進化するという一つの例でもあるのかなとも思いました。

20世紀後半の日本もそのケースの一つに当てはまるんじゃないでしょうかね。

 

といった感じで長くなってしまいましたが、兎にも角にも、歴史と事実を正確に学び、平和な時代を築いていくことが後に残された世代に任されたことです。

 

つづく