ちょっと長めに滞在したウクライナからポーランドに入りました。
この後も時間なさげなのでバルト三国まですっ飛んでいかなければなりません。
ポーランドで唯一行こうと思ったアウシュヴィッツも、弾丸で観光します。
<世界一周35か国目>
ポーランド(Poland)
通貨:ズウォティ
<現在地はここ>
クラクフ(Krakow)
気温:最高26〜29℃ 最低20〜22℃(2017年8月)
ポーランド南部の都市。
ウクライナからポーランドに入った辺りから気温が下がってきました。
はじめに
さて、この記事では、クラクフから弾丸でアウシュヴィッツまで行き、当日ツアー(英語ガイド)に申し込み、その日中にクラクフまで戻ってきたその行動ルートを記録しています。
ナチスによるユダヤ人迫害の内容だとかは、ネット女上にいくらでも情報がありますので、記事中には書きません。
なお、アウシュヴィッツ・ビルケナウのツアーに関しては、公式サイト上から訪問予約することがオフィシャルになっているようです。
(今回、普通に現地でツアーに申し込めましたが。)
そして、なるべく日本人ガイドの中谷さんにツアーの事前予約をしておくことを推奨します。
中谷さんのツアー(nakatani@wp.pl)に参加されたい方は、すぐにいっぱいになってしまうことが多いため、早めの申し込みをしてください。
クラクフからアウシュヴィッツへのバスチケット
クラクフからアウシュヴィッツ博物館へ行くバスチケットは駅に隣接しているバスターミナルで買うことができます。
クラクフ・アウシュヴィッツ往復バスチケット: 24ズウォティ(約767円)
バスチケットは往復分購入することができます。
チケットに時刻表を一緒にくっつけてくれました。
クラクフ9:00発。
大型バスもあるようですが、今回はGT TRANSという会社のミニバン。
まあ、大型バスよりもミニバンの方が移動時間は早かったりします。
クラクフの中央駅(バスターミナル)にはコインロッカーもありました。
大型ロッカーで12ズウォティ(383円)と結構高いです。
僕は朝クラクフに到着して、宿に行かずそのままアウシュヴィッツへ向かったのでメインバッグはここに突っ込みました。
<アウシュヴィッツの場所>
アウシュヴィッツアウシュヴィッツと言われていますが、正確にいうと、オシフィエンチム市という街の郊外に、アウシュヴィッツ強制収容所とビルケナウ強制収容所があった、という形です。
アウシュヴィッツと呼ばれているのがアウシュヴィッツ第一強制収容所、ビルケナウが、第一収容所がキャパシティオーバーになったので後からつくられた第二強制収容所になります。
ちなみに、J-TRANSのミニバンで行った場合、アウシュヴィッツ博物館の駐車場の裏側にある小さな通りに停車します。
当日ツアーの申し込み
10:30頃に着いたのですが、当日ツアーの申し込み窓口には既に大行列。
ここで1時間ほど並んだと思います。
窓口の上のモニターに、各言語別ツアーの開催時間と残数が表示されています。
アウシュヴィッツは予約必須というイメージだったのですが、英語ツアーであれば割と飛び込みでいけそうです。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所ツアー当日チケット: 45ズウォティ(約1,446円)
なお、大きなバッグを持ってツアーには参加できません。
僕はサブバッグだけ持っていたんですが、それでも預けろと言われたので、できるだけ軽装で行くとよいです。
荷物預かり代: 確か4ズウォティ(約127円)だったような・・・
ツアーの開始時間になったら入口付近へ向かいます。
ガイドが待機しているので、チケットのレシートを見せて入場、入口付近でオーディオガイドを受け取ります。
オーディオガイドというか、ガイドが話している言葉を聞くトランシーバーです。
ツアーの内容
アウシュヴィッツ第一強制収容所の入場ゲート。
観光客から社会勉強で来ている学生まで、とても混雑していました。
自分のツアーグループから離れないように気をつけましょう。
行かれたことがある方はご存知かと思いますが、負の遺産特有の、重苦しい雰囲気が漂っています。
感受性が強い人とかは、この空気だけでも気分が悪くなるとか。
収容者の写真。
収容されていた部屋。
これはおそらく比較的きちんとした部屋ですね。
収容所内に張り巡らされた有刺鉄線。
衣類らしき残骸。
収容者は常に監視され、逃亡を企てようとする者は容赦なく射殺されました。
というか、精神的に抑圧しきっていたので、逃亡しようとする者もあまりいなかったようですが。
ガス室だとされる部屋。
ここに何人もの人間が押し込められて毒ガスで殺されていたかと思うと・・・
普通の空気でないことが肌で感じ取れます。
ビルケナウへの行き方
アウシュヴィッツ第一収容所のツアー終了後は、少し休憩の後、離れたところにあるビルケナウ第二収容所へ向かいます。
アウシュヴィッツ第一収容所の入口から逆方向に歩いて行くと、こんなバスが停まっているので、ガイドと一緒に乗り込みます。
こちらがビルケナウ。
収容所内に引き込まれていく鉄道の線路。
よく見る写真ですけど、アウシュヴィッツではなく、ビルケナウの方です。
第一収容所が定員オーバーになったためつくられたビルケナウ。
ここの収容環境は更に酷かったとか。
クラクフへの帰り
ビルエナウを見学し終えた後は、行きと同じバスでアウシュヴィッツ側に戻ります。
大型バスの場合、ビルケナウ行きのシャトルバスが出ていた付近からクラクフ行きのバスが出ています。
が、J-TRANSの場合は来たときと同じ場所へ、同様駐車場を通り抜け、少し離れたところにあるバス停まで戻る必要があります。
ここです。
時刻表も掲示されてしまたが、行きのチケットを買ったときにもらった内容と少し異なるため、あまり参考にならないかもしれません。
弾丸観光のスケジュール
ご参考までに、こんな感じでした。
- 9:00 クラクフからアウシュヴィッツへ出発。
- 10:35 アウシュヴィッツ着
- 12:45 アウシュヴィッツ・ツアースタート
- 13:30 アウシュヴィッツ・ツアー終了
- 14:05 トラムバスでビルケナウに移動・ツアースタート
- 14:30 ビルケナウ・ツアー終了
- 15:51 アウシュヴィッツ出発
- 17:20 クラクフ帰着
ツアーの間に考えていたこと
・・・という何とも客観的な情報だけをまとめようとした記事でしたが、個人ブログなんで一応思ってたことも書いてみます。
ナチスを考える際に、キーワードになりうるのが、集団心理という言葉。
現代では、ナチスは残虐非道を尽くした悪そのもの、という歴史になっていますが、ヒトラー率いる彼らを支持したのも、当時の国民です。
(ナチスが第1党になるまでにはいろいろな強硬手段もあったようですが。)
第一次世界大戦に敗北したドイツ。
街は荒廃し、ハイパーインフレが起こり、国民は満足に食事も得られない状態。
そんなドイツをヒトラーは立ち直らせたわけです。
独裁者は疲弊しきった国民に職とパンを与えた。
奇跡と呼ばれる経済成長を実現させた。
そりゃあ当時の人達からすればカリスマ、もはや神のような存在ですよ。
ナチス支持で一致団結します。
そして、更に重要なのは、彼はユダヤという敵をつくったという点。
どうして我々は貧しいのか、搾取されているのか。
それはユダヤ人達のせいだと。
集団が団結をより強固にするための手法として、手っ取り早いのは外敵をつくることです。
自分たちのグループより外に憎っくき相手がいれば自然に手を取り合うことになりますから。
ピンチを救い、敵をつくって団結させる。
この辺のマインドコントロールを熟知した独裁者が現れたら、それに抗うことは結構難しいと思います。
これは現代でも同じことが起こりうると思っています。
長らく民主主義が正義だと辛抱してきた現代の人々。
しかしそれの行き着く先は、既得権益を持っている金持が得をし、あとはにっちもさっちもいかないグダグダな政治。
リベラリズムに煽られた政治家達は、移民を受け入れ、国民国家という概念が崩れていく。
こんなはずじゃなかったのに・・・
徐々に不満が蓄積されていく・・・
そんなときに多くの人々の不満を代弁する、強力なリーダーが現れたらどうなるでしょうか?
混沌とした時代では、強い指導者が求められます。
しかし、強い指導者とは、独裁者と表裏一体。
とんでもないことを平気で実行してしまったりするものです。
人間は学ぶ生き物ともいわれていますが、それでも歴史は繰り返します。
21世紀の今も世界は爆弾を抱えています。
中東しかり、朝鮮半島しかり。
誰かがその導火線に火を点けた瞬間、世界は一変してしまうかもしれません。
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