前回はイスラエルのエルサレムの、普通の観光情報でした。

 

 

しかし本来僕が行ってみたかったのはここではありません。

ちなみに死海にも全然興味なかったので行きませんでした。

僕が関心があったのは、イスラエル側ではなく、パレスチナ自治区側の様子。

今回の記事では、一応普通に行くことができた、エルサレムからも近いパレスチナ自治区の街、ベツレヘムとヘブロンについて紹介します。

 

 

はじめに

この記事を読んでいただいている方なので、イスラエルとパレスチナの問題についてはご存知だと思います。

遥か昔、住むところを追われ、長い間流浪の民となり、迫害の対象とされてきたユダヤ人。

第一次大戦中、当時現在のイスラエルのある地域を支配していたオスマン帝国と戦っていたイギリスが、大戦終了後の領土整理の検討の中、彼らユダヤ人に対し、パレスチナに彼らの国家を建設することを約束。

一方、イギリスは同時期、アラブ人にもパレスチナでの居住を認めています。

その後、ユダヤ人によるパレスチナの地域への入植は一気に増加し、アラブ人との対立が激化。

第二次大戦後にはユダヤ人側がイスラエルの建国を宣言し、中東戦争へと進んでいきます。

 

パレスチナって、もともとはユダヤ人もアラブ人も一緒に住んでいた地域なんですよね。

が、そこに火種をもたらしたのはイギリスさんです。

解釈に関する議論はあるようですが、バルフォア宣言、フサイン=マクマホン協定、サイクス・ピコ協定なんかの密約を調べてみると、当時の英国政府の中東政策は相当無茶苦茶だと思います。

3枚舌外交なんて言われていますが。

 

で、迫害されてきたユダヤ人が建国したイスラエル。

そしてもともと多数派として住んでいたイスラム教徒のアラブ人達は住む場所を追われ、パレスチナ自治区というエリアに閉じ込められてしまいます。

 

イスラエルの地図を見てみます。

 

赤で囲んだところが主なパレスチナ自治区エリア。

こんな風にヨルダン川西岸地区ガザ地区に追いやられてしまったわけです。

が、これだけでは当然終わらず、さらにパレスチナ自治区となっているエリアにも、イスラエル側は入植を続けており、年々ユダヤ人の居住区は拡大していっています。

そんなわけなので当然もともと住んでいたパレスチナ人は追い出されますよね。

この、ユダヤ人がパレスチナ人を追い出そうとしているエリアに興味がありました。

 

ガザ地区に関しては、イスラム過激派(「過激派」っていうのも一方的な呼び名なんでアレですが)ハマスの拠点になっており、少し前まで激しい戦闘が続いていたのでよくニュースになっていたのでご存知の方も多いと思います。

で、さすがにこのガザ地区に行くのはまずいので、ヨルダン川西岸地区の行けるところに行ってみようかと。

 

エルサレム周辺の拡大図。

今回行ってみたベツレヘムとヘブロンはエルサレムより少し南。

この辺りならエルサレムからも日帰りで行けるし、公共交通手段も分かりやすいので、外国人観光客でも普通に行くことができます。

 

ただし、エルサレムからヘブロンへダイレクトに行くことはできず、途中ベツレヘムを経由することになります。

 

エルサレムからベツレヘムへの移動

これは分かりやすいです。

旧市街地ダマスカス門近くのバスターミナルからバスが出ています。

 

<エルサレム・バスターミナル付近>

ここら辺。

 

231番のバスに乗ります。

 

エルサレム → ベツレヘムまでのバス: 6.8シェケル(約210円)

 

所要時間は約50分。

 

戦闘などが起こっていない限り、外国人も普通に入れるエリアですが、おそらくセキュリティチェックはあるため、パスポートと入国カードは必携です。

 

ベツレヘムからヘブロンまでの移動

ベツレヘムに来ると風景が一変します。

ヨーロッパの大都市っぽいエルサレムと異なり、中東の素朴な小さな街って感じです。

ユダヤ人もほとんど歩いていません。

 

<ベツレヘム中心部>

エルサレムから来たバスは↑の図の道路上に停まります。

 

エルサレムへ帰るバスは道路の反対側から出発します。

帰りの最終バスは確か19:00頃だったはずなので注意してください。

 

そしてヘブロン行きのバスは、エルサレム行きのバスが停車する場所から南へ少し下り、大きな交差点を渡った先に停車します。

 

こんな標識の近く。

 

このミニバスがヘブロン行きです。

車体にも書かれていますが、いくつか種類があるようなのでドライバーに確認しましょう。

 

ベツレヘム → ヘブロンまでのバス: 6シェケル(約186円)

 

所要時間は約1時間。

 

 

ヘブロンを歩いてみる

というわけでヘブロンに到着。

 

<ヘブロン中心部>

ベツレヘムから来たバスは左上の病院の近くの道路上に停まります。

帰りもここから出発しますが迷わないようmaps.meにピンをたてておきましょう。

 

バスを降りて坂を下ると、活気のある中東のバザールがあります。

人懐っこいアラブの客引き達が気さくに声をかけてきてくれます。

僕はやっぱりアジアのこの雰囲気が好きだなあ。

 

ヨーロッパではほとんどない、セルフィーしようよ攻撃にも結構あいました。

 

よく他の人のブログでも見かけるファラフェルサンド屋。

 

これで60円くらいです。

イスラエル側との物価の差に驚愕します。

 

 

で、向かった先は、バザールを抜けた先、ユダヤ人入植エリア近辺。

先ほどの地図で問題が起こっている場所って書いた辺り。

 

旧に人がいなくなります。

で、通りの上には張り巡らされた金網。

上階にはユダヤ人が住んでいるんだとか・・・

 

バザールのはずれ辺り。

遠目から撮りましたが、奥の建物のバルコニー部分から、イスラエル兵が常に警戒の目を光らせています。

賑やかなバザールの雰囲気から一転し、ピリピリした緊張感のある空気に変わりました。

 

奪われた自由

うろうろしていると、

モスクに行くの?あっちの方だよ!

と子供に教えられ、更に奥へ行ってみることに。

 

どうやら、この先、ユダヤ人の入植エリアに、パレスチナ人にとって宗教上重要なモスクがあり、観光客もよく来るんだとか。

まるで迷路のような狭い路地を進んでいきます。

ちょっと迷ってるとすぐに近寄ってきてあれこれ構ってくれて道を教えてくれる辺りムスリムの方の優しさ。

 

WELCOME TO PALESTINE

もう書かれてから結構年月が経過している感じです。

 

ヨルダンの国旗によく似ているこれはパレスチナの国旗。

 

パレスチナ人達が出て行き(というか追い出され)、ほとんどゴーストタウン化。

 

ゴミ山の奥に書かれた、パレスチナ国旗とFree Palestineの文字。

 

で、モスクへと続く、路地の最深部へと到達。

ここで現れた光景に再び足が止まります。

 

1階部分と2階部分との間に貼られた金網に積もったゴミの山。

なんじゃこりゃ・・・

 

実はこれは、2階部分に住むユダヤ人入植者が、1階に住むパレスチナ人への嫌がらせのためにゴミを放り投げているとのことです。

まあ、やってることが子供っぽいですが、自発的に出て行かせるようにこうやって精神的に追い詰めていくんでしょうね。

 

ちなみにこの通路にいくつかあるパレスチナ人のお店では、ユダヤ人が自分たちにどんな嫌がらせをしてきたのか等をいろいろ説明してくれます。

また、それらを記録したDVDも販売しており、見せてくれたりします。

商売っ気が強い面倒な人もいますが、外国人にこういった現状を知ってもらいたいという強い気持ちがあるんでしょう。

 

 

ユダヤ人入植エリアへ

この通路を抜けると、セキュリティゲートがあり、その先に例のモスクがあります。

 

不思議ですね。

家の近くのモスクに礼拝しに行くだけなのにいちいちこんなゲートを通らなきゃいけないなんて・・・

 

ここがそのモスク。

がらんとしていました。

一応、西洋人のツアー客も見かけました。

で、ここから引き返さずに更に先へ進んでみます。

 

旧に景色が開け、整備された広場が姿を現れます。

ここがパレスチナ自治区内にあるユダヤ人入植エリア。

 

これみよがしに掲げられたイスラエル国旗。

 

ちなみにパレスチナ人が住んでいる住居には、こんな感じで国旗がたっており、家の周りを有刺鉄線などで囲まれています。

自分の家ですよ?

このエリアに住むパレスチナ人には自由がありません。

外出するのにもイスラエル側の許可が必要。

まるで罪人のように扱われた彼らは、やがて耐えきれなくなりこのエリアから脱出していきます。

そうして徐々にイスラエル側の入植エリアが拡大し、パレスチナ人の住むところは無くなっていっています。

たまにすれ違う、生気を無くした現地に住むパレスチナ人達。

ニュースでは報道されませんが、こんなことが、パレスチナ自治区内のいたるところで行われているのが現状です。

 

ちなみにこのエリアの監視はかなり厳しく、雰囲気が異様だったので、一人でウロウロしていたらだんだん怖くなり、長居はせず撤収しました。

 

ベツレヘムのバンクシー

帰りにベツレヘムへ立ち寄った際に、有名なバンクシーの壁画を見に行きましたのでちょっと紹介します。

ベツレヘムにはイスラエル側とパレスチナ側を隔てている分離壁の一部があり、そこに平和を願って書かれた多くのギャラリーを見ることができ、観光客もたくさん来ています。

(上の方に載せたmaps.meの地図にも記載しています。)

 

でも、これもおかしいなと思いましたね。

分離壁とか言いつつ、イスラエル側は思いっきりパレスチナ自治区内に建ててるからね。

 

女性で初めて自爆攻撃を行った方だとか。

 

壁の切れ目。

 

本当にメキシコとの国境に壁つくれるんでしょうかね。

 

ある朝、突然イスラエル兵がやって来て、私たちの日常は破壊されました。

こんな記録もたくさん書かれています。

 

 

 

 

 

 

壁じゃなくてフムスをつくろうよ。

フムス(HUMMUS)って中東の有名な家庭料理ですよね確か。

 

 

これは壁からちょっと離れたところにある、有名な絵。

よくTシャツにもなってます。

 

 

だいたいの絵は分離壁のところにありますので、バス停から歩いて行くことができますが、街中にもいくつか点在しています。

ここは観光客も多いので客引きしているタクシーがたくさんいます。

ドライバーに1,000円くらい払えばいろいろ連れて行ってもらえます。

 

また、分離壁周辺にはアートを売るお店なんかもあるんですが、商売っ気が強く、面倒な人が多かったイメージなので、気をつけてください。

 

 

最後に

ここまで書いてみると、

迫害するユダヤ人

迫害されるパレスチナ人

という構図が強く出てしまい、プロパガンダっぽくなってしまいましたが、事実、イスラエル政府が現地のパレスチナ人に対して行っていることは、人道を無視した迫害以外に他ならないと思います。

だからといってテロが正当化される訳ではないですが。

 

イスラエル:

我々も本当は和平を望んでいる。でもパレスチナは危険だ。市民の命と生活を守るためにも、彼らを抑え込む必要がある。

 

パレスチナ:

昔みたいに共存し平和に暮らしたい。でもイスラエルが我々の自由を抑圧するのであれば、生き残るために我々は戦うしかない。

 

解決策はあるのか。

ひたすら和平への対話を続けていれば道は開かれるのか。

 

残念ですが、解決の糸口は分かりません。

高度な政治的思惑を背景に抱えた国際紛争っていうのは、圧倒的な軍事力と政治力をバックにした国が、何かしら強制的な介入を行わないと解決しないものです。

ひたすら平和を唱えていても利害関係が存在する限り対等な形でなんか解決しないし、誰も助けてもくれません。

っていうと乱暴に聞こえますが、少なくとも、歴史がそう証明しています。

 

しかしこのイスラエル・パレスチナの問題については、発端をつくったはずのイギリスは国連にぶん投げた後はもう知らん顔してるし、現在の仲介役であるアメリカさんはイスラエルにべったりだし・・・

みんなパレスチナ側に同情してはいるものの、もはや手が出せず、見て見ぬふりをしているのが現状です。

 

注意とか

前回記事と合わせ、僕が今回行ったのは、一応、一般の外国人旅行者も行ける範囲です。

(日本の外務省は、パレスチナ自治区へは基本渡航中止を促していますが。)

しかし、イスラエルのように複雑な事情が絡んだ地域では、何が起こるか分かりません。

本来はガイドを依頼をした方が良いのではないかと思います。

また、情勢の変化にはくれぐれも注意してください。

ご存知のとおり、米国大統領が、”エルサレムをイスラエルの首都だと認める”発言をしてしまい、現地の動きに大きな影響を与えています。

イスラエルへの渡航自体に関しても、注視されてください。

 

参考:外務省海外安全情報・イスラエル