僕にとってウクライナと聞いてとっさに思い浮かぶものは、チェルノブイリ原発事故。
1986年4月26日午前1:23、キエフ近郊のプリピャチという街にあった原子力発電所が爆発し、大量の放射能が撒き散らされた事件。
人類史上最悪の原発事故といわれています。
ウクライナのキエフでは、実はこの原発があった地域に行くことができるツアーがあるんですよね。
住民が避難して誰もいなくなった廃墟を見ることができるってやつ。
でもその前に事故自体のことをもっとよく知りたかったので、キエフ市内にある博物館に行ってみることにしました。
国立チェルノブイリ博物館の場所はこちら。
中心地からも割と近く、メトロのKontraktova Ploscha駅から歩いて行くことができます。
チェルノブイリ博物館の展示の様子
事故の内容や経過については、ネットにいくらでも出てきますし、僕が説明するのもナンセンスなので省略します。
まずは展示内容を写真と一緒にさっくりとご紹介。
集合住宅の建物のような、ここが入口。
入るといきなり日本語だらけ。
聞けばチェルノブイリ博物館は日本から多大な援助を受けているようで、その上で福島原発の事故があってからはその資料も展示されるようになっています。
ちなみに福島原発の事故は、チェルノブイリと同様、レベル7(深刻な事故)として最悪水準の事故に認定されています。
日本から寄贈された絵や人形、折り紙、様々なオブジェ。
平和への祈りを込めたメッセージ。
入場料:10フリヴニャ(約40円)
オーディオガイドのレンタル料:150フリヴニャ(約600円)
カメラ持ち込み料:30フリヴニャ(約120円)
ビデオカメラ持ち込み料:50フリヴニャ(約200円)
かなり細かく決められています。
僕は英語の説明パネルを見れればよいかなと思ったの出入場料+カメラ持ち込み料を支払いましたが、じっくり見学されたい人は日本語音声のオーディオガイドを借りた方が良いです。
博物館に入って驚いたのは、そのデザイン。
淡々と展示がされているのではなく、原発事故の恐ろしさがリアルに伝わってくるような、不気味で怖い雰囲気が演出されています。
メルトダウンした後、爆発した4号炉のミニチュア。
屋根が吹っ飛び、原子炉がむき出しになりました。
前半の展示では事故対応作業を行った(その後その影響で亡くなった)方々の写真がたくさん並べてありました。
誰が、どんな服を来て、どんな作業を行っていたのか。
その後、亡くなった方の多くに勲章が授けられたようです。
避難を余儀なくされた住民の方々。
当初は事故が隠蔽されていたので、突然避難指示が出されたみたいですね。
気味の悪いリンゴの木のオブジェ。
僕は知らなかったのですが、リンゴの成分には、体内に入ったセシウムを排出する効果があるとされているようです。
後ろ足が4本ある犬のミイラ。
放射線量を測定する装置。
広島原爆投下に関する資料。
当時の新聞記事も。
こちらは、原子力エネルギーを利用することについての恐ろしさを訴えているようなニュアンスですね。
大きな展示ホール。
世界全体にある原子力発電所の数を示しています。
さすがに日本は原発大国です。
事故後の放射能拡散のシミュレーター。
恐ろしい黒い雲がヨーロッパ全土に広がっていった様子が分かります。
当時のソヴィエト政府に公式発表によれば、事故による死者は原発職員や消防隊員など30名弱とされています。
が、実際にはそれをはるかに上回る犠牲者がいたことは間違いないです。
拡散された放射能が、多くの住民に死の風となって襲いかかり、体を蝕み、死を免れたとしても、深刻な後遺症となって残りました。
ウクライナ近辺の国々では甲状腺ガンを発症した子供達が大量発生しました。
あるNGO団体の調査では、この事故が原因の死者の数は、現在にいたるまで70万人以上という報告を出しています。
事故直後の経過と隠蔽
最大最悪の原発事故。
発生に際しては、そもそもの設計ミス、操作の誤りなど複合的な要因があるようですが、事故の被害が深刻になった理由の一つに、直後の対応があまりに酷過ぎたことがあるようです。
原子炉が爆発した直後、現場の作業員達はどうにかしようと必死で原子炉を停止・冷却しようとしました。
現場では、もともと設置されていた計測器の上限メモリの約4,000倍以上という、とんでもない放射線量が観測されていたにも関わらず、上層部はそれを隠蔽。
ソヴィエトの本部クレムリンへは、
「事故による被害・犠牲者はわずか、職員の努力によって最善の対応を行っている。」
と報告していました。
当然現実はそんなものではなく、事態は一気に悪化。
事故から夜が明けた時点で、原発周囲の環境は既に放射能により汚染、手遅れな状況になっていました。
すぐにでも避難を開始すべき状況であったのにも関わらず、上層部は、
「パニックを起こしてはいけない。」
と言い放ち避難は進まない。
原子炉の冷却作業を行う作業員や軍に対しても情報公開はせず、マスクと防護服を与えなかったそうです。
自らの命を犠牲にして作業を行う者達と、事故について知らされず放射能に汚染されていく地域住民。
責任をとりたくない上層部は情報を非公表にし、被害が拡大していきます。
事故の対応が沈静化した後、事故の原因は作業員による操作ミスと政府から発表されました。
しかし実は、原子炉の設計に重大な欠陥があり、それが後に公表されます。
最悪なことに、命がけで作業を行った職員達をスケープゴートにし、自分たちの責任を回避したいがために現場に責任を押し付けたのです。
上の人間は、原子力発電所の設計は完璧、安全で、事故など起こらないと言い続けてきたわけですから。
秘密主義と責任回避体質
この事故は、特に、共産主義国家のような、強い官僚制の環境下にありがちな、秘密主義と責任回避体質が合わさって莫大な被害に発展してしまったように思えます。
情報を正確に把握・共有し、瑕疵があったことを認めて正直に対処していけば、事故後の被害や人命ももっと守られたのではないかと。
そして、ここで福島の件を振り返ってみれば、同じようなことがありましたよね。
状況はコントロールされている。
とか、やたらよく聞いた言葉です。
昨年(2016年)には、当時東電の社長が、
メルトダウンという言葉を使うな。
と社内に指示したことにより、情報公開が遅れたことを認めました。
→ 参考記事
昔の共産主義国家と同じような問題が現代の日本でも起こっているわけです。
福島の件は、地震という自然災害が関わっているので単純比較できないし、この記事でピックアップはしません。
が、結構日本ってこのような秘密主義と責任回避体質の傾向が強いと思いましたのでその話を少しだけ。
僕も働いていたときに、会社で何度も体験しています。
- 現場が何か問題やトラブルを発見して報告する。
- その問題には何かしら人為的原因があるのだけれど、責任を取りたくない奴がたくさんいる。
- 上に報告が上がる都度、情報が歪められていく。
- 結果、対応は遅れて、被害が拡大する。
- 気づいたときには目も当てられない状況になって、そうなってから本腰を入れて対処しようとする。
- 最終的に誰も責任をとらない。
大企業あるあるですね。
あるあるなんですが、これってとてもヤバイんですよ。
何かおかしいとか、良くないことが起こったときには、それをストレートに認めて、早く、正確に情報を共有した方が、最終的な傷は深くなくて済むんです。
最後にネットでよく見る秀逸なコピペを載せておきます。
現場「これ絶対やばいっすよ」
ヒラ「やばいらしいですよ」
主任「やばいかもしれないって」
係長「懸念すべき事項が一つ」
課長「一つを除き問題ありません」
部長「実に順調です」
社長「うむ」
秘密主義と責任回避体質は、深刻な事故を引き起こします。
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