お久しぶりです。
世界一周から帰国して気づいたら8か月も経っていました。
ブログも続けようと思っていましたが、久々の日本の生活、引っ越し、再就職、友人との再会、結婚など、いろんなことが目まぐるしく動き出し、ずっとバタバタしていて徐々に放置。
PV数もどんどん落ちていき、旅をしていたときの記憶も薄れつつある感じの今日。
日本での生活や仕事にも慣れて今後どうしていくべき方向性が徐々に見えてきて、余裕がでてきた秋の夜更け、ふと旅の写真を振り返っていると、急にいろいろ懐かしくなり、ちゃんとブログを再開しようと思い立ちました。
というわけでまずは近況をちょっと書いてみます。
1年半も海外フラフラしてた人が帰ってきてその後ちゃんと生活できてるのかってのもありますしね。
では、帰国したら食べようと思ってた飯の写真を載せつつ、帰国後のことを少し書いてみます。
帰国のとき
帰国直前はタイに1週間くらいいました。
中米からいきなり日本帰っちゃうと軽くパニック?になりそうだったので、いったん安定のバンコクに行って心を落ち着けようと思いまして。
あと帰っちゃうとしばらく会えないかなと思ったのでタイ人の友達と遊んだりしてました。
この辺はまたそのうち記事に書きます。
帰りは成田空港から。
一発目の食事はローソンのおにぎり。
今の嫁が迎えに来きてくれるまで、空港をうろつきながら旅の余韻に浸ります。
マジで1年半帰らなかったからね。
凄く不思議で、現実感が無い感じでした。
このときはまだ旅が続いていて、また新しい国に来たみたいな感覚だったのを覚えています。
成田といえば実は鰻の養殖で有名です。
なので、成田駅から成田山新勝寺へ向かう参道には鰻屋がたくさん。
当然涙ながらに食らいつきました。
そんで夕方くらいに帰宅。
両親は普通に出迎えてくれました。
あら、思ってたよりそんなに見た目変わってないわね。
ご飯食べるんでしょ?
この適当自由な感じがうちの家風。
このときもまだそんなに帰国した感はなかったかな。
翌日、船橋市役所に行ってまずは住民票ゲット!
1年半前韓国へ転出してタイから転入したことになってますね。
これで住所不定無職から、一応住所はある身分へ。
社会復帰へ
で、数日後再就職先の面接に。
ずっと誘ってもらっていた会社で、年明けパラグアイにいるときに履歴書と職務経歴書をメールで送りつけましたが、無事採用されました。
そして、スーツ来て東京のビル街を歩っていたこのときに、急に現実感が出てきました。
ヤバイ、俺帰ってきちゃったんだ・・・
朝起きてもゲストハウスのドミトリーじゃないですしね。
働き出すまで1か月くらいあったんで、最後の無職期間を楽しみます。
平日の昼間っから東京をブラブラしたり、遠出して友人に会いに行ったり。
移動するにも泊まるにも何も不自由しない感じが新鮮。
飯はとにかく美味い。
もともと食事に興味が無かった僕でしたが、このときばかりは日本で食べるものが全て美味くて毎回びびりました。
着る服が無かったんでいろいろ買い物したり、新しいスーツやシャツを買ったりして、最後に残しておいた貯金が一気に減っていきましたが、前職と同水準の給料で雇ってもらえたんで不安は無かったです。
この辺はオファーくれた方々に感謝しかないです。
仕事辞める前に死ぬほど働いていろいろ人脈をつくっておいて良かったと思います。
帰国して無一文になってたら精神的には結構きてたでしょう。
仕事は前と同じITの営業。
最初は覚える、というか思い出すことも多くて大変でしたが、少ししたらややこしい仕事も普通に捌けるようになり、大手企業のクライアントの担当者やエンジニアさんとの打ち合わせでも普通にごりごりタイマンはれるまで復活しました。
業界としては成長している市場なので、前向きな話が多く、それなりに面白いですね。
そんなこんなしているうちに結婚することになり引っ越し。
当然引っ越し蕎麦も食べました。
今まで家族以外の誰かと一緒に住んだこととかなかったので、なんか不思議ですね。
ここまでで約4か月。
その後さらに2か月ほど経ち、婚姻届も出し、仕事もマネージャーみたいな役職がついて普通の真っ当な社会人に。
平日は朝は7時前くらいに起きて、ニュース読んだり英会話聞きながら通勤、帰ってきて家でご飯食べてビール飲んで寝る。
帰国後半年で、完全に社会復帰しました、という感じでした。
↑のように書いていると簡単そうに見えるけど、毎日かなり大変だし、海外をフラフラしていた立場からするとここまで行くのはかなり大変なことだと思います。
旅が思い出になる
旅が日常だった頃から、それが非日常の思い出へと変わりました。
イッテQ、クレイジージャーニー、世界不思議発見やら旅番組を見てると、
ああここ行ったわ!
ローカルバス使えば時間かかるけどすげえ安いんんだよね〜
ていうか相場よりちょっと高いわ、俺ならもっと値切れる。
みたいなことを思う瞬間があって、自分が一般人と比べてかなりマニアックな知識を持っていることを改めて実感します。
カルディでインカコーラを見つけたときは、懐かしいというより
何だよ缶しかねえじゃん!
1Lのペットボトルで売ってくれよ!
と思わずディスりました。
山にも登ったりします。
自然は好きです。
旅に出てもっと好きになりました。
トレッキングは死ぬまで続けようと思います。
とりあえず当面は日本アルプスの有名どころを制覇しようと思います。
変わったこととか
客観的な生活レベルは変わってない、というか、以前よりかはだいぶ健康的になりました。
前は一日中仕事して、食事は外食かコンビニ、休日は人と接するのも面倒な気分とかでしたから。
今は旅に出たことがきっかけで友人が増えたり、逆に以前連絡をとれて無かった人と再会できたりとかしてます。
性格は別に大きくは変わってないと思います。
そりゃあ旅出たくらいでいきなりぶっ飛んだ人間になっても困ります。
ただ、多様性を認められるようになった、他人と比較しなくなった、家族や友人との繋がりをもっと大切にしようと思うようになった、など小さな変化はあります。
長く異なる文化の中にいることによって、日本社会を客観的に、そして物事をより大きな視点で見られるようになったんだと思います。
中本の北極ラーメン食べても、成都で食べた激辛火鍋や陳麻婆豆腐の方が辛いんじゃないかとか(お尻は死にますが。)。
訳わからない理不尽なことを要求、嫌味を言ってくる人やクライアントがいても、常識がまったく通じないインドの商人や、聞き取れないロシア語連発してくる中央アジアの人よりかは、状況はましだとか。
怪しい輩がたむろしている繁華街を歩いていても、アディスアベバやナイロビ、ブエノスアイレス、サンティアゴ辺りみたいにいきなり強盗されたり殺されたりすることは無いだろうとか。
比較対象のスケールが大きくなり、いちいちむかつかなくなりましたね、
ということで結論としては、社会復帰できた、というよりかは、むしろ確実に良い方向に向かっています。
あのとき思い切って旅に出たことが、環境を変え、考え方に変化が生じ、人生を大きく変えたのは確実です。
今後のこと
じゃあ普通にこのまま一般的な社会人として生きていくのか、というとどうなるかは分かりません。
今の職場には約束があるのでしばらくはいますが、はっきりとはしてないものの、いずれまた違う道に進むことになると思います。
僕がある程度英語に慣れているからか、最近外国企業の対応をすることが凄く多くなってきてます。
世界は物凄いスピードで動いていて、日本の伝統的な労働者が浸ってきた安定した閉鎖的な環境で生き続けるのは、今後とても難しい世の中になって行くと思います。
とりあえず目の前のことを必死に捌きつつも、面白く生きるためには今後のことを考え続けていかなければならないです。
明日何が起こるか分からない。
何が正しくて何が悪いのか分からない。
不安定さが面白くなるという、旅が教えてくれる大事な感覚です。
そんな感じでだらだら思ってたことを書いてみましたが、ブログと動画は復活させ、根気強く最後までやっていこうと思います。
旅をしていた頃を忘れないように。
あ、あとしばらく海外には行かないと思ってましたが、めでたく行けることになりそうです。
最後行くの諦めてしまったアメリカ。
どっちかの夜は昼間のU・S・Aです。
一人旅じゃなく新婚旅行ですが、嫁に怒られない程度にバックパッカー感を出していきたいと思ってます。
つづく
もし記事がお役に立ちましたらシェアをお願いします。