こんにちは。

リアルタイムではフランスはパリというバックパッカーらしからぬ大都会でちょっとくつろいでいるところです。

ようやっと時間ができてきてブログ再開です。

記事はブルガリアからヨーロッパへ突入し、バルカン半島の旅が始まったところですね。

 

ところで僕のヨーロッパ旅の前半戦の目的地はウクライナです。

ウクライナはブルガリアからルーマニア、モルドバと進んでいけば多少余裕をもちながら辿り着くことができるんですよ。

でも僕はバルカン半島へ無性に寄り道したくなってしまったんです。

理由は、近現代史の中で、バルカン半島という言葉でひっかかってくるユーゴスラビアという国。

もう今は存在しないのですが、僕が子供の頃はまだありました。

というか、ガチガチの紛争地帯でした。

支配者側のセルビアと、そこから独立したい構成国の間で、独立戦争が起こっていたわけです。

小さい頃、毎日のようにテレビのニュースでユーゴスラビア紛争の映像を目にしていたことが記憶に残っています。

それから、NATOを中心とする国際社会の仲介を経てユーゴスラビアは崩壊し、独立国家が成立、21世紀になり、現在は情勢が落ち着き、普通に旅ができるようになりました。

そんなわけで、トルコからヨーロッパへ入るときに、

子供のとき戦争で荒廃していた地域が果たして今はどうなっているんだろうか?

見てみたいな・・・

という素朴な疑問が湧き出てきたのです。

 

ということで旧ユーゴスラビア、特に現在も紛争の影響を色濃く残しているコソボへ入る前に、ちょっと旧ユーゴスラビアことについて書いておきたいと思います。

(一応旅のブログなのであんまり詳しくは書きませんが。)

 

 

1.ユーゴスラビアって?

90年代後半〜21世紀に生まれた方はあまり馴染みがないか、もしくは知らないかもしれません。

歴史の教科書にもたぶん本当に最後の方に出てくるだけだと思いますので。

 

でもそうですね・・・サッカー日本代表の元監督のオシムと現監督(2017年)ハリルホジッチが旧ユーゴスラビア出身だといえば、日本人的にも結構身近に感じるんじゃないでしょうかね?

 

様々な民族・宗教が入り混じり、また、強国の支配を受けつつそれに対する民族独立運動が盛んで、第一次対戦前にはヨーロッパの火薬庫といわれたバルカン半島に、20世紀になってから成立した国家です。

通説では、1918年、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人が南スラブ民族の国家をもとう!といって団結・独立したのが始まりといわれています。

そこから国名や政治体制の幾度の変遷があり、2006年にセルビア・モンテネグロが分離されるまで存在していました。

 

その国際的位置から『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容される。

-Wikipedia

↑Wikipediaにこんな感じで書かれているほど複雑な多民族・宗教国家でした。

どんだけだよって感じです。

 

ユーゴスラビア、正確にいうと、社会主義時代のユーゴスラビアの国旗です。

サッカーは当然のこと、スポーツが盛んで、ワールドカップやオリンピックでは強国として知られていました。

 

↑旧ユーゴスラビア構成国。

セルビア、スロベニア、クロアチ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア、コソボの7か国。

この中では、セルビアが政治的に主導権を握っていて、首都はベオグラードに置かれていました。

 

2.何故崩壊したのか

そもそも何でこんな国が成立できていたのかっていうと、たぶん当時の国際情勢があると思います。

20世紀最初のヨーロッパといえば、民族で固まって強い国をつくろう!という民族自決主義が高まっていた一方で、ナチスドイツが大暴れし出したり、ロシアが共産主義革命でソ連になり東欧を飲み込もうとしたり、まさに混沌の世界情勢。

ちょっと油断すれば国家が崩壊しかねないような世界。

ちなみにユーゴスラビアはもともと王制だったんですが、ナチスに侵攻されて政権は英国へ亡命しています。

第二次大戦終結後は、戦中ナチスに抵抗を続けていたチトーという人物が民衆の支持を受け、社会主義政府を樹立します。

チトーは当初はソ連の息がかかっていたようでしたが、後に独自路線をとり、東側とも西側とも一定の距離をとりつつ、世界中が米ソの代理戦争に巻き込まれていく中、大国の干渉を受けないようにしました。

外が危険な状態にあると、内部って逆にある程度まとまるものです。

ちなみにチトーは独裁者ともいわれていますが、非常にカリスマ性が高く、今だに人気のある政治家です。

 

このように、バルカン半島という非常に緊張した冷戦の境界にあったこと、チトーという強力なカリスマがいたことがこの複雑な国を維持できた要因なのではと思います。

 

 

しかしベルリンの壁崩壊から東欧で社会主義国が次々と民主化し、ソ連が崩壊、91年に冷戦は集結を迎えます。

すると、今まで溜め込んでいた民族問題に火がつきます。

これはユーゴスラビアに限った話ではないですが、無理矢理まとまってた国って、外が静かになると内部崩壊し始めることが歴史の常識です。

 

3.ユーゴスラビア紛争

– Encyclopedia

 

↑バルカン半島の民族分布。

旧ユーゴスラビアの地域には、政治の中心だったセルビア人、その次のクロアチア人、スロベニア人のほか、イスラム教徒であるボシュニャク人、アルバニア人などが住んでいます。

これらの人々は、偉そうにしているセルビア人が気にくわないから本当は自分たちの国をつくりたい。

そんな感じで、90年代に入って、一気に独立機運が高まり、それが戦争となっていきます。

これが泥沼化。

特に、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボの地域で発生した虐殺=ジェノサイドや民族浄化に対しては国際世論も黙っておらず、NATOが介入開始。

しかしセルビアは、この地域は自分の領土だと考えているので、自国に他国の軍隊が入ってくることは容認できない。

NATOのいうことなどきかん!

みたいな状況になってしまったので、ベオグラードが空爆され、大量のトマホークを打ち込まれたりします。

当然、セルビアが米軍を始めとした先進国の軍隊に抵抗できるはずなどありません。

最終的にはセルビアは力で抑え込まれてしまい、独立した国々は正式に承認されていき、今の状況に至ります。

 

ちなみに、NATO、というか西側諸国の宣伝もあって、セルビアが悪者みたいな言われ方をされている例が多いような気がしますが、結局民族間の戦争。

互いに酷いことをやり合うわけです。

 

 

4.コソボについて

さて、バルカン半島にはユーゴスラビアが崩壊して小さな国々がパラパラとできあがったわけなんですが・・・

 

↑さっきの地図。

コソボだけちょっとおかしい気がしませんか?

 

Google Map上、国境が点線になっているんですよね。

 

これは、コソボが置かれている複雑な状況のせいです。

実は、コソボの独立を承認していない国がかなり多いのです。

アメリカ、イギリス、ドイツ、日本など、110か国以上は承認、一方ロシア、中国、スペインなど80か国以上は承認を拒否しています。

そして何よりも、セルビア自体が、

コソボの独立など永遠に認めることはできない

と宣言しています。

 

コソボは、旧ユーゴスラビアの中でアルバニア人が集中しているエリアです。

しかしもっと昔、オスマン・トルコ帝国がこの地域を支配する以前は、セルビア人が住んでいた地域だったんですよね。

したがって、セルビア的には、非常に重要な土地だと考えているようです。

また、コソボ独立の中心となったコソボ解放軍(UCK)がかなり過激なことをやっていたことも影響している気がします。

コソボの承認を拒否、または慎重になっている国を見ると、たいてい自国内に少数民族問題の火種を抱えている国が多いです。

 

 

現在、コソボに対してセルビアの実効支配は及んでいませんが、今後、国際的に独立が承認されるかは非常に不透明です。

コソボの独立については、アメリカさんが責任もって面倒をみるんでしょうかね・・・

 

5.旧ユーゴスラビアを旅する上での注意

という感じのことダラダラ書いてきましたが、僕は単なるバックパッカーです。

いったん一旅人目線に戻りますと、この地域は、つい最近まで戦争していたほど、民族間の憎悪がとても強く残っている土地なんだという点を認識しておかなければなりません。

一外国人旅行者が軽々しく首を突っ込んでいい話じゃありません。

現地の人の感情を刺激するような言動にはくれぐれも気をつけてください。

後の記事で書きますが、僕もちょっとドキッとすることがありましたので・・・

 

そしてその最大のポイントが、セルビアとコソボの関係です。

先ほども書きましたが、セルビアはコソボの独立を認めていません。

これが旅をする上で問題になるのが、コソボからセルビアへ行こうとするときです。

結論をいうと、

コソボからセルビア側へ入るのは極めて難しい

です。

 

セルビアはコソボがある地域を自国領土と位置付けています。

しかしコソボはセルビアの実効支配が及んでいないため、セルビアのイミグレが存在しません。

したがって、コソボからセルビア側へ入ろうとする際の検問で、セルビアに不法入国とみなされる可能性が高いです。

中には通過できたという旅人がいるという話も聞きましたが、追い返されたという話の方が多いので、無難にやめておいた方がよいでしょう。

 

じゃあ、セルビアとコソボ両方とも行ってみたい、という場合どうすればいいのか。

基本的には第三国を経由すればO.K.です。

僕はこのパターンです。

また、試していませんが、セルビア側からコソボへ入るのは可能だという話も聞きました。

(でもセルビア側の検問で止められる可能性がある気もするけど・・・)

 

 

以上、こんな感じでまとめてみましたが、たまにはこういう記事も書きます。

というか、僕にとってヨーロッパの旅は、戦争や民族問題など、割とダークな部分をなぞる旅だと考えているので、こんな記事が多くなるかもしれません。

 

では、次回から旧ユーゴスラビアを中心とした国の記事を淡々と書いていきます。

 

 

つづく