プノンペンに来たら絶対行くべきスポットが、トゥール・スレン博物館です。

 

長らくフランスの植民地だったカンボジアは第二次大戦後に独立しました。

その後ベトナム戦争が勃発し、米軍がインドシナ半島の戦線に集中し始めると、状況に変化が訪れます。

当時カンボジアの政治指導者だったシハヌークは、親共産主義(過激ではなく比較的中立寄り)体制にあったため、米国と戦闘を続ける北ベトナム軍の補給基地をカンボジア東部に置くことを黙認していました。

これが気に入らない米国は、北ベトナム軍の爆撃を試みるも、シハヌークが反対したためをクーデターを起こさせて彼を追放させ、ロン・ノル将軍をトップに置いた傀儡政権を擁立。自国の操り人形と化したこの政権の下、カンボジアを爆撃しまくります。戦争が本格化すると、カンボジア国内には多数の犠牲者と難民が発生しました。

そして、この混乱に乗じて、民族独立と反植民地主義を掲げたポル・ポト率いるカンボジア共産党=クメール・ルージュが勢力を伸ばし、甘い言葉をささやいて国民を欺きながら支持を集め、1970年代中頃に国内の実権を握ります。

このとき国民は、クメール・ルージュが、カンボジアをこの地獄から解放してくれるヒーローだと信じていたのかもしれません。

(当時の米国の政策判断が、後に今に至るカンボジアの不幸な歴史を生んでいるという点は過言ではないと思います。)

 

しかし、クメール・ルージュの支配が始まると国内は更に大変なことになります。

革命・国家の再構築をうたい、国民は農地で強制労働させられ、政府批判する者は問答無用で逮捕、収容所送り。

「過去に欧米等で高度な教育を受けて教養がある者」「政府に逆らう可能性がある危険因子」と見なされ、スパイ疑惑などをでっちあげて収容した後、無茶苦茶な拷問で自白を強要し、処刑しまくりました。

 

共産主義がどうこう言うつもりはありませんが、当時は既存権力をひっくり返すために「革命」「独立」「平等」とかっていう甘い言葉を使い、共産思想が独裁者に都合よく利用されていたのは事実です。

で、彼らは民衆を指導して革命を成功させ、いざ権力を握り始めると恐怖政治で国内の不安因子を一斉排除し始める。

お決まりのパターンですが、高確率でジェノサイド=大虐殺を誘発します。

 

トゥール・スレンは、カンボジアにおけるジェノサイドの舞台となった、クメール・ルージュによる強制収容所でした。

その悲劇を現在に伝えるため、現在は博物館として残されています。

ちなみに当時は国家機密とされていた施設なので、暗号名称で「S21」と呼ばれていました。

クメール・ルージュの統治期間中に処刑・犠牲となった人の数は一説によると約300万人といわれています。

当時のカンボジアの人口が900万人くらいと想定されるため、国民の1/3が虐殺されたことになりますが、とんでもない話です。

 

 

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トゥール・スレン入口

普通の博物館とは雰囲気が圧倒的に違います。

 

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入場料はオーディオガイド付きで6ドルです。

オーディオガイドは日本語のものがあって解説がとても分かりやすいです。

 

収容者達は、最初は何の説明もなくいきなり連れて来られたといわれます。

まず顔写真を撮られ、身長・体重などの基礎情報を調べられた後、番号を割り当てられる。

その後、収容者の名前は剥奪され、管理番号か、「あれ」とか「これ」という呼称で管理され、尋問と拷問の繰り返し。

本名が呼ばれるのは、尋問と処刑されるときだけ。

でっち上げられた容疑を認めるまで殺さなかったといいます。

また、収容者達は、普段は大きな部屋に数十人の集団で詰め込まれ、10人ごとにまとめられ、足を縛られて床に寝かせられていたといいます。

収容されると、看守の言うことに従うこと、質問されたとき以外喋らないこと、を徹底的に指導されました。

勝手に声を上げたりすると拷問されます。

あまりの過酷さから、看守の目を盗みペンをのどに突き刺したり、ロウソクを頭からかぶったりして何とか自殺を試みようとする人もたくさんいたらしいです。

 

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入るとすぐに「名も無き犠牲者」達の墓が並んでいます。

 

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拷問に使われた部屋などがそのまま残っています。

 

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拷問器具とか。

ムチで叩きまくって、傷口の上からさらに塩水をぶっかけたりしてたみたいです。

 

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学校のグラウンドにある鉄棒とかも拷問器具に使われてました。

吊るされて殴られていたようです。

意識を失うと糞尿とかの汚水の溜まった桶に突っ込みまた目を覚めさせる。

その繰り返し。

 

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独房。

外は暑いのに、建物の中はヒンヤリとしています。

これがとても不気味。

 

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独房の中はトイレの個室みたいにとても狭いですが、2人ずつくらい突っ込まれてたみたいです。

 

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名も無き犠牲者の顔写真が展示されています。

詳細・名前は一切不明です。

 

 

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処刑された人達の骨。

処刑されるときは、「労働場所の配置換えだ」と言われて突然郊外に連れて行かれたそうです。

 

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カンボジア内には無数のクメール・ルージュによる処刑場があったと言われます。

 

 

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大勢の人が収容され、殺されていったS21ですが、生還したのはたった7人だけ。

医者、エンジニア、彫刻家など、クメール・ルージュが利用できる人材だけは他の収容者と別管理され、生かされていたそうです。

 

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当時の歴史を知る方々の証言など。

 

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中庭の中央には平和を願うメモリアルが建てられています。

 

 

他にも様々な展示があり、オーディオガイドで丁寧に説明してもらえます。

クメール・ルージュの人員や、S21の館長等の証言も聞けます。

敷地内は狭いですが、内容が多く、僕は回るのに9:00過ぎに入って午前中いっぱいかかりました。

 

そんで感想ですが、何というか、

過去今まで見てきたどの博物館より衝撃的でした・・・

淡々としている感じも非常にリアルです。

 

人間の残虐性の究極系を知ることができ、それがどんなに悲惨なことなのか。

ここを訪れた観光客の中には、ショックで涙が出たり、数日間落ち込んで体調不良になってしまう方も多いといわれます。

こういうの弱い方は注意してください。

平和な時代に生きてきた僕なんかは、どうしてこんな残忍なことができるんだとか平気で思ってしまいがちですが、冷静に考えると自分が同じような目に遭う時代が来てもおかしくないかもしれません。

極限状態に追い込まれた人間がとんでもないことをしてしまうのは歴史が証明しています。

現在進行形で当時のカンボジアと同じような事態が発生している国とかもあると思います。

 

クメール・ルージュの支配が終わった後、カンボジアは再び内戦状態に陥り、90年代頃まで混乱が続きます。

また、この虐殺により多くの教養人や大人が殺されたため、カンボジアの復興が非常に遅れたといわれています。

平均年齢も20代後半で、街中を歩いていても年配の方をほとんど見かけない。

仕事をしているのは若い方ばかりです。

 

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夜のトゥール・スレン周辺の道。

カンボジアは街灯が少なく、夜はかなり暗いです。