標高4,350mのディンボチェ。

酸素はかなり薄く、朝晩の気温はマイナスまで冷え込む。

とてつもなく厳しい自然環境だ。

 

しかしその分、霧がかかっていないときに見える満点の星空には言葉を失った。

ちょっとぶれてるけど、目視で星雲まで見えそうな勢いで星々が輝いている。

それは、おそらく僕が生まれて初めて見た、天然の宝石箱だった。

 

 

エベレスト・トレッキング7日目

ディンボチェを2泊した後の朝は7:30に起床した。

前日あれだけうなされた高山病の症状は、結局その後は出なかった。

体調は良好で気持ちよく寝られた。

 

ディンボチェ等、この辺りの標高にある集落の風景。

ほとんどがトレッカー向けのロッジとなっているが、普通に人も住んでいる。

冷静に考えるととても不思議。

 

標高が4,000mにもなってくると、日中の太陽の光は非常に強い。

サングラスをかけていないと眩しくて歩けないし、顔もすぐに日焼けするほどだ。

そんな場所なので、写真のような器具を使えば容易にお湯を沸かすことができる。

 

ディンボチェは9:00に出発した。

ここから標高4,900mのロブチェへ向かう道は一番お気に入りだった。

 

両脇を高い山に囲まれた荒野を、正面遠くに見える雪山に向かってひたすら歩き、登っていく。

まるで異世界に来てしまった錯覚を覚える。

 

昼くらいにトゥルナという休憩ポイントに到達した。

ここから先がエベレスト街道第三の関門で、400m程度の急な坂をひたすら登っていく。

ナムチェや、タンボチェのときよりも標高が高いあため当然酸素は薄く、足場も岩だらけでゴツゴツしている。

数歩歩くだけで、体力が容赦なく奪われていく。

しかし、ここを登った先で見えた光景に息を飲んだ。

 

 

雪山を背に、数え切れないタルチョがはためいていた。

まるで、この先のエリアに立ち入る人間達を迎え入れ、そして警告するように。

目に映る、現実離れした光景。

このようなものを見ていると、無宗教・無神論者である自分も、神様という存在を本当に信じてしまいそうになる。

ちなみにこの周囲には、エベレスト登山中に亡くなったとされるシェルパの墓がたくさん建てられており、不思議な居心地を感じる空間が広がっている。

 

 

ロブチェには16:00頃に到着した。

体調もすこぶる回復したようだ。

ただ、その分、いろいろと考え事をする瞬間が多くなってしまった。

タンボチェでふいに思った、自分はもう日本に帰った方がいいんじゃないかということを。

 

エベレスト・トレッキング8日目

この日はベースキャンプ手前のゴラクシェプまで行き、そのまま5,545mのカラパタールへ登るつもりだったので、いつもより少し早く、ロブチェを8:00に出発した。

 

ロブチェ以降から景色が更に変わってくる。

雪山がいっそう近くなり、大地には氷河が現れる。

太陽が雲で隠れたり、強い風が吹くと一気に気温が下がる。

 

標高約5,200mのゴラクシェプには12:00頃に到着した。

ここがエベレスト街道で、ロッジがある最後のポイント。

スタッフがキビキビと動いていて、安心感のあるブッダ・ロッジに泊まることにした。

ロッジに大きな荷物を置き、まずは標高5,545mのカラパタールへ登ることにした。

 

カラパタールの頂上から見るエベレストは圧巻らしい。

傾斜がかなりきつく、最後の力を振り絞って歩くような形になる。

ガイドブックには片道2時間で行けると書かれてたが、かなり厳しいと思う。

僕は3時間を要した。

 

途中で雲の隙間から顔を覗かせたエベレスト。

地球上で最も標高が高い山だ。

しかし、ここまで来ると、エベレスト以外の山々も凄い。

7,000m級のローツェ、ヌプツェ、プモ・リ峰、6,000m級のアマダ・ブラム。

どれも強烈な存在感を放っている。

頂上付近には、まるで山が呼吸し、吐き出した息かのように見える真っ白い雲が漂っていた。

山は生きている。

 

その後、頂上まで登ると、残念ながら濃い霧がかかってしまいエベレストは見えなくなってしまった。

しかし今回の目標はあくまでベースキャンプへ辿り着くこと。

感動のピークはそのときまでとっておこう。

 

 

 

ロッジに戻ってからは、ベッドに寝っ転がりながらタンボチェから続くモヤモヤする感情について考え始めた。

アジアを半年かけて旅し、人生の息抜きとしてのレベルであれば、僕は旅に十分満足している。

エベレスト・ベースキャンプまで到達できれば、一応自分が課していた旅の最低限のノルマはクリアするので、相応の達成感を得られるであろう。

そこでもう日本に帰ってしまおうか。

 

 

いや、違う。何故だ?

 

何故帰っていいことになる?

自分は本当に息抜きのために旅に出たんだろうか。

確かに勢いで決めたことだけど、安全志向であるはずの自分が大きなリスクと引き換えにした決断。

深層心理に何が存在していたんだろうか。

 

改めて自分が旅に出た動機を掘り下げてみる。

旅立ち前、僕は先が見えない、例えようのない息苦しさを感じていた。

この先どうやって生きていけばよいかすら分からなくなってしまっていた。

その原因は何だったんだろう。

 

学生の頃まで遡れば、普通に大きな会社に就職して、当時付き合っていた彼女と結婚して、無難に生きていければよいと思っていた。

その後、社会人になってから彼女とは別れたが、強いショックを受け、しばらく立ち直れなかった。

僕は次第に仕事に熱中するようになっていった。

若いながらも、積極的にアイディアを出し、会社が良くなるよう常に業務の改善を考えていた。

新しい彼女ができても、自分の頭は仕事を最優先していた。

そして4年程度働き、ついに自分がやってみたかったような仕事を任されるようになった。

更に仕事にのめり込んでいった。

とても楽しかった。

労働基準法を軽く違反するような時間働いていても、あまり苦じゃなかった。

当時は自らそんな環境を望んでいたかのように思える。

ひたすら仕事をしていれば、余計なことを考えずに済む。

しかし入社8年目を迎えたとき、会社の都合で、思うような仕事ができなくなってしまった。

そこで自分の目の前が真っ暗になってしまった。

 

でもどうしてそんなことになってしまったんだろう?

 

仕事は大切だが、あくまで仕事だ。

大きな会社にいれば、理不尽で思うようにいかないことなんてたくさんある。

そこで抗えない壁が立ちはだかったとき、ショックで潰れてしまうような人間なら、冷静に考えてこの先の長い人生を乗り越えていくことは不可能だろう。

 

自分には、何か、信じていたものに裏切られ、落ち込んでしまったときに、自分を正すような軸が無いんじゃないだろうか。

恋人とか、仕事とか、外部の要素ではなく、自分の中だけにある、自分を構成する特別な要素。

抽象的で、哲学的なものかもしれないけど、人の生き方を決める要素。

 

 

たぶんだけど、僕は生きていくための軸が欲しかった。

 

その手がかりをこの旅で見つけたかった。

旅立ち前の初期衝動を言葉にすれば、こんなものかもしれない。

 

 

 

エベレスト・ベースキャンプまで行って帰ってきて、この感情が無くなってしまっていたら、もう帰ってしまってもいいだろう。

この旅で見つけられたのかもしれないし、もしくは旅なんかじゃ見つけられないということが分かったということになる。

 

 

でもそうじゃなかったら、まだあのときの感情が残っていて、旅に対する期待が消えていなければ・・・

 

 

そのときは改めて僕にとっての旅の再出発になるかもしれない。