いよいよエベレスト・トレッキング編スタートです。

前回もちょっと触れましたが、このトレッキングに対する僕の思い入れはなかなかの深さ。

ガイド無し・ポーター無しの完全に単独で挑み、約2週間の間、基本一人で行動していたため、歩いている最中いろいろなことを考え込んでしまいました。

軽い瞑想状態です。

そんな感じなので、トレッキング記事に関しては情報系ブログから離れてタメ口・日記口調で書いていきたいと思います。

 

 

エベレスト・トレッキング1日目

この日は久しぶりに緊張して早く目が覚めた。

僕は何かイベントごとがあって、絶対寝過ごせない日、だいたいアラームの5分前には起きることができる。

社会人時代に身についたよい習慣だ。

ちなみに逆に何も用事が無い日はアラームが鳴っても起きれないことが多い。

 

まだ暗い早朝5:00、部屋を出て、フロント前のソファで寝てるスタッフを起こしてトレッキングに持って行かない荷物を預ける。

タクシーは宿を出てすぐに捕まった。

ルクラまでのフライトの搭乗時刻は朝の7:00。

空港の国内線ターミナルには余裕を持って着いたが、案の定時間どおりには出発しない。

結局飛行機が出発したのは昼過ぎだった。

 

世界一危険といわれるルクラのテンジン・ヒラリー空港。

山中の切り立った崖に強引につくられている。

カトマンズから来た飛行機はこの小さな空港に1本ある滑走路に着陸すると、微妙な傾斜をうまく利用して減速、停止するが、すべて目視によるパイロットのテクニックにかかっているため、着陸に失敗して墜落することもあるらしい。

僕が乗った飛行機が着陸に成功した際には、乗客全員から歓声があがった。

 

トレッキング用品店とロッジが密集しているルクラのストリート。

カトマンズで必要なグッズを用意してきない場合、ここで購入・レンタルすることも可能だ。

また、帰路の航空券は、オープンチケットで買うのが普通だが、2日前までに航空会社のカウンターへ連絡してリコンファームにより搭乗日を確定させる必要がある。

したがって、多くのトレッカー達は、ここルクラに着いた日に、帰路の航空券を予めロッジに預けておき、リコンファームの手続を代行してもらうようお願いする。

なお、これをやらず下山してルクラまで戻ってきてから手続した場合、ルクラに宿泊する日数が延びる可能性がある。

ガイドがいれば勝手にやってくれるが、完全個人で行くとちょっとややこしい。

僕はナマステ・ロッジという宿にチケットを預け、ルクラに戻る前の日に別のロッジから電話することにした。

そのままロッジで昼ごはんを食べ、今後のスケジュールを再確認する。

エベレスト・ベースキャンプまで行くのに特別な技術は必要無いといわれているけども、このとき、自分がかなり凄いことに挑戦するんだという不思議な高揚感に包まれていた。

 

ルクラにある気の利いたカフェ。

この先、標高が上がってくると、当然こういったものは一切なくなる。

 

STARBUCKS COFFEE LUKRAなんてものも。

 

通りを抜けるといったん下り坂になり、ナムチェ方面へ向かう長いトレッキングロードが始まる。

 

道はよく整備されていて、歩きやすい。

大勢のトレッカーと、荷物運びをするシェルパといわれる山岳民族の方々が行き交う、かなり賑やかな山道だ。

 

途中、ドリンキング・ウォーターと書かれている湧き水ポイントがあった。

日本人観光客は、お腹を壊すから基本飲まない方がよいと言われているが、僕は普通に水筒に入れて飲んだ。

僕はインドを出るときにお腹を壊し、このときもまだ完治していなかったが、今更ヒマラヤの湧き水ごときでどうにもならないだろうと変な自負があった。

 

標高約2,800mルクラから下り、一度このガートという村に着いた。

本番はここから。

ほとんど上りになるからだ。

 

この辺りからマニ車と呼ばれるチベット仏教の仏具が現れ始める。

これは時計回りに回転させることによって、経を唱えるのと同じ効果があるとされている。

僕もシェルパの方の動きを真似ながら、マニ車を回す。

 

そして上り坂をしばらく歩いて、このトレッキングを舐めていたことを理解した。

息が切れるのが早い。

冷静に考えれば、既にかなり標高が高いところにいるので無理もない。

ただ、僕は日本でトレッキングをやっていたときは、ガイドブックに書いてあるような標準歩行時間や、他の登山客と比べても、少し歩くのが早い方。

しかしここヒマラヤで、他のトレッカーやシェルパにどんどん追い越されてしまう。

そして朝早かったせいか、強烈な睡魔に襲われ始める。

加えて軽い頭痛。

おかしいな、まだ初日なのに・・・

不安が徐々に大きくなる。

 

15:00過ぎ、初日の目標ポイントだったパクディンに着いたときには、夕飯も食べずにロッジのベッドに倒れこみ、そのまま寝てしまった。

夜中、頭痛で何回か目が覚めた。

こんなところで体調が悪くなってしまったら、この先、5,500mに向かうトレッキングなんてできっこない。

寝れば治る。

単に寝不足なだけだ。

そう言い聞かせながら僕は体を休めることに集中した。

 

 

エベレスト・トレッキング2日目

翌朝は7:00に起きた。

かなりスッキリしていたので、ミルクティーを飲みながらロッジの犬と遊び、9:00頃にゆっくりと出発した。

モンゴルでも思ったが、寒いところにいる犬は人懐こく、人間の心を癒してくれる。

 

パクディンから3時間ほど歩いた地点で、カトマンズで取得してきたTIMSカードのチェクポイントがあり、サガルマータ(ネパール語でエベレストのこと)国立公園入場料を支払う。

ここから先がエベレスト街道の最初の関門。

ナムチェまで高低差600mの急な上り坂が続くのだ。

 

昨日は寝不足といきなり標高が高いところに来たせいで、少し疲れていただけだ。

そう思って威勢良く歩き出したが、この急坂以降は本当にきつかった。

次はあの大きな岩の前まで

階段が途切れたところまで

そう言い聞かせ少しづつ足を進め、立ち止まっては呼吸を整え、また歩き出す。

こんな作業を永遠と繰り返す。

次第に肩と腰が痛くなり、背負っている荷物をぶちまけたくなる。

果たして12kgの荷物は重過ぎたのか。

どこかのロッジに預かってもらって、もっと軽装備で登って行こうか。

僕はこのときそんなことを真剣に考え始めていた。

しかし、ヒマラヤの光景は僕に勇気をくれる。

 

標高が高いところにある村へ物資を運ぶシェルパの方々。

トレッキング街道では、こんな光景を何度も目にする。

重さは10〜20kgどころではないだろう、40〜50kgはある。

その巨大な荷物を額に布をひっかけることによって担いでいる。

しかも彼らは仕事で荷物を運んでおり、それなりに丁寧に扱わないといかけないはずだ。

よく観察していると、彼らの歩き方は非常に参考になる。

なるべく高低差が発生しないよう、バランスをくずさないような足場を見つけ、小刻みに足を進めていく。

 

こちらは荷物を運ぶロバの隊列。

 

さらにヤクと牛の混血のゾッキョという動物。

ロバもゾッキョも、巨大な荷物を背中に乗せ、飼い主である現地人に鞭で叩かれたながらひたすら行進を続ける。

 

こんな光景をずっと眺めていると、たかだか12kgの荷物で何弱音を吐いてんだという気分になってくる。

こっちはきちんとした、体に負担がかからないようにつくられたトレッキング用のバッグを担いでいる。

 

それによく考えてみたら、本当に必要なもの・持っていきたいものまで厳選に絞った荷物だ。

そう簡単に減らせるものじゃない。

生命線となる飲料水と食料、美しい絶景を納めるための撮影機材、朝晩は氷点下となる山の寒さから身を守る防寒具。

みんな大切なものだ。

大切な荷物ほど重たい。

 

 

荷物の話だけじゃない。

重要な課題や仕事。

自他に与える影響が大きいものほど、簡単に背負うことはできない。

 

当たり前で単純なことだ。

登山は単にいい景色を見に行くことができるだけじゃない。

いろんな大事なことを教えてくれる。

 

気合を入れ直し、一歩一歩、確実に足を進めていく。

 

きついのや重いのは当たり前。

別に早く歩くことは目標じゃない。

 

 

ただ、確実に前に進むこと。

 

ナムチェに辿りつくと、既に日が落ち始め、村は霧に包まれていた。

僕の体はその日の限界を迎えていたが、意識ははっきりしており、周囲の人に聞きながら目当てのロッジまで入り組んだ道を歩いて行った。

 

無事ロッジに辿り着いてから飲む一杯のミルクティー。

これを飲んだときの幸せは半端じゃない。

一気に体が温まり、そのままゆっくりベッドに横になり、この日は眠りについた。

 

翌朝見かけたシェルパの荷物。

とんでもない大きさだ。

 

こんな冷蔵庫みたいなサイズのものまで・・・

 

僕からするとびっくりしてしまうが、こんな荷物も彼らの手にかかればまるで軽いものを運んでいるかのように器用に担いで行く。

まったくシェルパの底知れ無い体力と繊細さには敬意を払わざるをえない。