バガンからバスに乗り、夕方ヤンゴンのアウンミンガラーバスターミナルに着き、乗り合いタクシーに定員オーバーのぎゅうぎゅう詰めにされながらダウンタウンの宿に到着しました。

 

Four Rivers Hostelという宿にしました。

 

ドミトリー1泊︰ 1,1000チャット(約936円)

 

ミャンマーは観光インフラがまだ整っていない割に競争が少ないのか、快適な安宿を見つけるのが難しい感じです。

特にWi-Fiはどこも極めて遅いです。

それなりの質のものを求めると、かなり高くなります。

 

 

<現在地はここ>

ヤンゴン(Yangon)

気温:最高28〜32℃ 最低18℃〜22℃(2016年12月)

バガンに比べると、だいぶ蒸し蒸ししてます。

安宿があるダウンタウンは、ヤンゴン川の北側、旧市街地にあり、ゴミゴミした昔ながらの東南アジアの街という雰囲気。

 

日差しが強いので日傘をさしてる女性が多いです。

オシャレです。

 

都会です。

ロンジーを履かずジーンズだけとかの人も結構います。

タナカを塗ってる女性も減りました。

 

ネットカフェ

でも宿のWi-Fiと速度はそんな変わりません。

 

ダウンタウンの路上には屋台がたくさん出ていてスイカをよく見かけます。

活気があって歩くのが楽しいです。

 

こういう小さいプラスチックのイスとか、ベトナムを思い出しますね。

 

TOKYOドーナツ

 

スーレーパゴダの近くにある日本っぽい喫茶店。

ここは無料Wi-Fiが使えます。

ヤンゴンにはカフェがたくさんできていて、コーヒーとドーナツを買ってくつろいでいる若い人達をよく見ます。

 

ビールサーバーとか久々に見ました。

昼間っからビール飲んでるおっさんも久々に見ました。

 

朝から昼過ぎまでダウンタウンを歩き回って見るところがなくなりました。

で、何となくフェリーに乗り場に行ってみました。

すると一人の男性が

日本人?

日本人ならフェリーに無料で乗れるんだよ。

もし川の向こう側に行くならガイドするよ!

と話しかけてきました。

よく分からない人にガイド頼むのはトラブルの元なので頼みませんでしたが、日本人がフェリーに無料で乗れるのは本当でした。

チケット売り場の人にパスポート見せて記帳すると通してくれます。

他の外国人は乗車賃を払っていました。

 

フェリーは5分くらいで対岸に着き、頻繁に行き来してます。

 

ミャンマーと日本の国旗があります。

このフェリーは日本の支援で寄贈されたもの。

これが日本人が無料で乗れる理由です。

 

川の向こう側

実は対岸がどんな場所なのかは少し事前情報で知っていました。

ここはダラ地区といって、いわゆる貧困層の人々が住むエリア。

ここの人々はヤンゴン市内側に住むことができず、このフェリーに乗って毎日働きに出ているとのこと。

路上でひたすら物売りをしている人も多くいます。

 

ヤンゴン市内で見かけるサイカーと呼ばれるチャリタク。

フェリーから降りてダラ地区に入った瞬間、ダウンタウン側とは明らかに空気が変わりました。

つまり、何か怪しい、ちょっとヤバそうな雰囲気というやつ。

 

そして物凄い客引きに逢いました。

1時間サイカーで案内して10USDだと。

全然乗る気が無かったので断り続けてましたが、何百メートルもずっとついてくるほどしつこい。

しかも僕ら2人に対して2人乗りのチャリタクが3人くらいついてくる。

それじゃ余るんじゃないのか?

彼らはお金が無いんだということをしきりにアピールしてました。

 

ダラ地区は近代的なビルなどが無く、田園風景が広がっています。

スラム街のような場所と聞いていた割には、道はしっかり舗装されていました。

このような、田舎の風情のある景色が見られることから、たまに観光に来る外国人もいるようです。

 

サイカーのドライバーが延々とついて来るので、僕も歩きながらいろんな会話をしました。

 

川の向こう側(ヤンゴン側)に住んでいる人達はお金持ち。

自分達はお金も仕事も無い。

ヤンゴンは凄いスピードで発展してるけど、この場所は変わらない。

外国からの投資は、富裕層や役人が持っていってしまう。

 

実際はもっと簡単な、片言の英語表現ですが、要約するとこんな感じ。

 

で、しつこくセールスして来る。

そのとき彼らが度々口にしていたのが、ツナミ・ビレッジという単語。

ダラ地区にあるらしく、そこに連れて行ってあげるよ、とのこと。

何を言ってるんだろう?

ツナミ・・・

ツナミ・・・

・・・津波のこと?

と思い、ジェスチャーで伝えると、そうだと。

過去にスマトラ沖地震などで発生した大津波の被災者が逃げて住み着いた地域らしい。

その場でスマホで検索してみると確かにそのような情報が出てきました。

このときもう少しで夕暮れの時間帯。

正確な場所が分からないので、あるき回って暗くなってしまったら完全にアウトです。

でも、危険と思いながらも、強い興味を持ってしまった僕はツナミ・ビレッジまで歩いて行くことにしました。

30分歩いて何も無かったら帰ろう。

 

ダラ地区を東側へ進んでいきます。

ドライバーは途中でいなくなりました。

その辺にある濁った池から桶に水を汲んでいる人々の姿を頻繁に見ました。

おそらく水道が通っておらず、生活水に使っているのでしょう。

途中、質素なつくりの民家がたくさんありました。

お寺や売店、学校なども。

授業を終えて帰宅する子供、路上で集まって何やら騒いでいる男、裸足でサッカーをする少年達。

でも思ってたよりもそんなに雰囲気は悪くなく、危険な感じもしませんでした。

そっちは行き止まりだよー

とか教えてくれる女性も。

また、この地区にそれなりの数の人々が住んでいることが分かりました。

ただ、若い男性はあまり見かけない。

おそらく皆働きに出て戻って来ないのかと思います。

 

フェリー乗り場から歩くこと30分くらい。

掘っ立て小屋のような並びが見えました。

津波の被災者達は、竹で家をつくって住んでいると聞いたので、何となくあれがツナミ・ビレッジだと分かりました。

その、家と呼べるのかも分からない小屋が集合しているエリアは、別名バンブー・ビレッジとも呼ばれています。

水道や電気などのインフラは一切通ってません。

嵐が来たら吹っ飛んでしまいそうに見えます。

このとき、住んでる方は見かけませんでした。

 

近くには大きなゴミだめがあり、野犬や牛が漁っていました。

ゴミを回収をする人がいないのでしょうか。

そのすぐ近くで小さな子供が遊んでおり、

ミンガラーバー!

と元気に挨拶して来ました。

子供はどこにいてもみんな純粋なんですよ。

 

もう少し踏み込んでみたい気持はありましたが、徐々に暗くなって来てしまったので引き返すことにしました。

 

宿に戻るともう夜になっていました。

ダラ地区についていろいろ調べました。

国籍が無くまっとうな仕事に付けない方も多く住んでるとか。

そしてやはり、軍事独裁政権が長く続いたことも影響して、国の援助が行き届いておらず、貧困状態の改善は難しい状況だと。

また、ダラ地区では、外国人観光客がツアーと称してサイカーで案内された後高額な代金を請求されるという被害が相次いでおり、日本大使館から注意喚起が出ていました。

 

現在のミャンマーでは、多くの人々が、国が民主化され、これから必ず良くなっていくと信じているようです。

実際凄まじいスピードで投資と開発が進んでいます。

しかし一方でその恩恵を受けられず、忘れ去られている人々もいる。

新しく発展していくヤンゴン側と、変わらないまま取り残されているダラ側。

この日、川を挟んでこの国の光と影の部分を見てしまった気がします。